九谷焼の土と産地にこだわるテーブルウェアのブランド「HANASAKA」。九谷焼の原料である「花坂陶石」に由来しています。現在、花坂陶石は採石できる鉱山が少なく、九谷焼が広く知られる反面、そうした現状はほとんど知られていません。1951年の創業以来、九谷焼の絵付技術や様式の継承だけではなく、その後ろにある山や環境のことも未来に伝えていくというコンセプトを掲げています。
九谷焼の粘土製造の視点から、美しい絵付けを下支えしている生地焼成の窯元と、その先の様々な人とを結びつけ、土地・文化・未来が一体となる産地のものづくりが、「HANASAKA」のミッションです。

Une

ユンヌ

ユンヌ/九谷の粘土だけで作られた器。製土の際に不純物として除かれた残土から釉薬を作りました。優しく美しいベージュが特徴です。ボディー、釉薬ともに一つの花坂陶石から生まれた、毎日の食事のためのシリーズ。

Givre

ジブル

薄氷を纏ったように白い生地が透ける、淡い濃淡の青磁器です。轆轤成形した生地に、一筋一筋、鎬を削って仕上げらます。料理の色彩を引き立てる青磁釉は、古九谷の時代から受け継がれた九谷の色。お酒と料理を楽しむためのシリーズ。

Roots of Kutani

焼き物は通常、土の産出地の名前を取って呼ばれることが多いのですが、九谷焼においては、花坂という名称は用いられて来ませんでした。
現在の九谷焼は、1800年頃に現在の小松市に位置する花坂村から、白磁に適した陶石が発見されたことが始まりとされています。200年以上経った現在でも、九谷焼は花坂陶石を原料として焼かれています。
その硬い陶石は、粉砕、精製、粒度管理、用途に合わせた調合、土練を経て、九谷の粘土になります。

九谷焼は加賀藩3代目藩主の前田利常が、1620年頃から京洛文化を規範とした文化圏確立と、有田に次ぐ窯業の産地を目指したことが、産地の始まりと言われています。当時の有田は、磁器の量産化に成功し、海外輸出用にも生産をしたと考えられています。そのような時代背景の中、加賀藩は長崎に出張所を置き、オランダ東インド会社を通じて、オランダのデルフト陶器を日本で最初に注文するなど、オランダとの関係も深かったようです。当時のヨーロッパの影響を感じるデザイン様式の影響が、現在の九谷焼の様式にも受け継がれていると考えられています。(参考文献:日本の磁器「九谷」嶋崎丞 1979年)